「感染地図」感想
FOSS4G Advent Calendar 2014 とData Visualization Advent Calendar 2014の、
6日目の参加記事です。
概要
本書は、原因不明の病に疫学という手法で立ち向かうことを発見した始まりの物語でもあり、強固な固定概念を打ち砕きパラダイムシフトを起こし世界を変えたデータジャーナリズムの先駆けの記録であり、オープンな地図システムと市民参加によって今後可能になるであろう未来を思い描くサイエンスノンフィクションです。
この物語には、致死的な細菌と、超成長する都市、そして天賦の才をもった二人の男という四つの主役が登場する。百五十年前のある一週間、底知れぬ恐怖と苦痛に見舞われたロンドン、ソーホーにあるブロードストリートでこの四つの主役たちは交差した。
(中略)
この本は、そうしたさまざまなベクトルの交差点が無数に存在する地図の話、知覚で把握出来ないことを道理で説明するために作られた地図の話である。
「感染地図」はアメリカのサイエンスジャーナリストであるスティーヴン・ジョンソンが、1854年ロンドンで発生したコレラ禍の拡大を止めるために奔走した医師ジョン・スノウと牧師ホワイトヘッドの1週間における戦いを、当時の証人による文献や現存する調査報告書など多くの資料をもとに小説仕立てに描いたドキュメンタリーです。したがって、登場人物のモノローグはすべて作者が当時の記録を元に作成したものですが、結果的にただ事実を追った記録文学ではなくエンターテイメント性の高い作品となっています。
当時のロンドンは人口250万を超える大都市でしたが、公衆衛生という概念のないままに拡大した都市はまさにカオスと言った感じで、いたる所に汚物が散乱し悪臭にまみれた空間であったかが詳細な描画で臨場感たっぷりに描かれます。
八月の終わりの暑さと湿気にあたっては、ソーホーの汚水溜めや下水、工場や炉から立ちのぼる悪臭は避けようがなかった。においの一部は、都会のど真ん中だというのにあちこちにいる家畜から出ていた。
(中略)
きちんとした納屋などない環境で、本来は人間のための住居だったところが牛小屋にされ、一部屋に二十五頭から三十頭の牛がつめこまれていた。巻き上げ機で屋根裏部屋に運ばれ、乳を搾るとき以外は暗がりに押し込められている牛もいた。
そんな中で発生したパンデミックは結果的に住民の一割が命を落とすという大災害となりました。
原因不明のまま隣人たちが次々と亡くなっていく、都市全体をある種終末論にもにた諦観が蓋う中敢然と立ち向かったのが本書の主人公、医師ジョン・スノウと牧師ホワイトヘッドです。
このジョン・スノウのキャラクターもぶっ飛んでいて、もともとは麻酔科医として名を上げた人なのですが、当時まだ確立していなかった麻酔技術を自らの体で試し、クロロホルムを吸い込んでは目覚めるまでの時間を測って身に付けたというとんでもない人物であったりもします。
そんなジョン・スノウやホワイトヘッドなどの視点を切り替えながら、疫病がはびこる巨大都市の一週間が色鮮やに描かれます。
世界を変えた地図
当時はコレラの原因は「瘴気」だと考えられていました、つまり悪臭によってコレラは感染すると。
その説に異論を抱き独自の調査を行って飲料水媒介説にたどり着いたのがスノウだったのです。しかし、当然のことながらスノウの説はそう簡単には受け入れてもらえません。
そこでスノウは、コレラにて死亡した死者のデータを地図上に視覚化し自らの説を世間に訴えました。
これは原因不明の病に対してデータを収集し分析することで対抗する疫学の始まりでもあり、固定概念に対してデータを視覚化することで異を唱えたデータジャーナリズムの先駆けだといわれています。
しかし、スノウの地図はその後の影響力の大きさゆえに一人歩きし、ある種のシンボルとして語られることになるのですが、実際にはスノウ以外にも様々な人の協力と活動によって行われたパラダイムシフトだったのです。
視覚化とCivic Hack
本書は、単にスノウとホワイトヘッドの活躍を描くのみで終わらず、後半では独自の都市論とともにデータビジュアライゼーションなどの観点から、スノウとホワイトヘッドが作りだした地図の分析と、この地図が社会に与えた影響も明らかにしていきます。
ウィリアム・ファーの死亡週報からドットマップを作るだけなら、だれにだってできただろう。だがスノウの地図には、二人のソーホー住人がひたすら近所を訪ねあるき、とっくに脱出してしまった人まで追いかけて集めた情報が入っている。人口統計データだけに基づいて地図を作ったなら、公衆衛生局の視点から見た地図で終わっていただろう。しかし、地元に精通していたホワイトヘッドの知識が加わったスノウの地図は、住民の実際の生活を投影していた。この地図は、方法論としての地図化と新しい情報デザインの採用に加えて、地域社会の強みを浮き彫りにしたところに独創性があった。
(中略)
スノウの地図は、彼自身が望んだほど直接的な影響力はなかったかもしれないが、その後の文化の中でさまざまに語り継がれる影響力を持っていた。コレラ菌がそうだったように、スノウの地図もまた人間を通じて自身を繁殖させたのだ。
どんな情報を掲載しどんな情報をそぎ落とすか表現方法の選択はデータの視覚化にはとても重要な要素ではあるのですが、それ以上にそもそものどんな情報を集めるかがいかに大事かということが見て取れます。地域社会に根付いて活動していたホワイトヘッドがいたからこそ、スノウの地図はそれまでの固定観念を打ち砕くことができたのでした。
当時のスノウは、主流の科学者や医師からみればとても異端な存在でした。
統計学者としても有名な、かのナイチンゲールでさえ「瘴気説」には疑いを抱いていなかったということですから、それらがどれほど強固な固定概念だったかがわかります。固定概念に囚われていた行政を動かしたのはホワイトヘッドによって集められた市民のデータと、スノウの手によって作られた優れた視覚化地図だったのです。
スノウたちの活動は、まさに「Civic Hack」と呼ばれるもでした。
民主化された地図
最後の章では、現代において地図システムや市民ボランティアによるデータの提供などが災害時に以下に重要かが様々な事例とともに語られます。
ブロード・ストリート・マップの波紋は、病気の領域をとっくに超えている。グーグルアースやヤフーマップなどのサービスのおかげで、ウェブ上には素人地図製作者による新しい形の地図があふれかえっている。スノウが街路図の上にポンプと死者の出た場所をマークしたように、今日の地図製作者は評判のいい公立高校、お勧めの中華惣菜店や遊園地、同性愛者向けのバー、見学自由の売却予定の家などの場所にマークをつける。近隣の人しか知らないはずの情報が、いまや地図の形で世界中に知らされるのだ。一八五四年のときのように、地元に精通している素人の方がすばらしい地図を作ることができる時代になった。
(中略)
こうしたすばらしい最新ツールはどれも、ブロード・ストリートの調査とその地図の子孫だ。
オープンな地理システムや、市民自身が行政が提供する様々な計画に参加し地域全体に貢献していると実感をもてるようにするシステムや活動などスノウの感染地図の子孫と言うべきツールがいかに重要で可能性に満ちた物であるか、本書の中で紹介される多数の事例を読むと期待を抱かざるおえません。
総括
ここ数年間、私が興味を持っていたもの全てが詰まった本だっただけに熱くなってしましいましたが、とにかく「データビジュアライゼーション」「GIS & FOSS4G」「Civic Hack」など、私と興味の方向性が似ている方にはたまらない一冊になっています。
単純に読み物としてもスリリングで、パンデミックを扱ったパニック小説としても楽しんで読める作品なのでお勧めです.
関連資料
作者講演
作者スティーヴン・ジョンソンがTEDにて行った感染地図に関する講演です。
日本語字幕付き。