著作権法について誤解していたこと

最近、「著作権判例データベース」で過去の判例を読み漁っているので、個人的に気づいたことをメモ。

専門家とかではないので、あんまりあてにしないでください。
(判例、すごく読み辛いので。読み間違えてるかもしれないし)

著作権法の解釈には幅がある

著作権法自体、インターネットとかなかった時代に作られた古い法律なので、人によってホント解釈の幅が大きい。っていうか、そろそろ限界なんじゃないかなこの法律。

ネット上の著作権に関する情報はあくまで見解

よくある「○○をしたら違法」とか「○○はOK」などと著作権に関する記事があるけれど、これらはあくまでその記事を書いた人の著作権法に対する解釈でしかない。
情報を発信しているのがのが弁護士であろうがJASRACであろうが、それは単なるその人(組織)の見解でしかないので、実際の裁判で記事にかかれたような判決がでるとは限らない。
(まぁ、これは著作権法に限った話ではないけれど)

グレーゾーンなんてない

当たり前だけれども裁判になれば黒か白か、確かな結果がでるわけなので、グレーゾーンなんてものはない。
それは単に「まだ、訴えられていない」状態でしかない。
逆に訴えられてなければ、どんなに危うくても白(今のところは)。

わりとひっくり返る

著作権法の裁判では、一審で有罪と判断されたものが二審で無罪になったり、その逆があったりってことが結構あるみたい。それだけ、裁判官によって著作権法の解釈が違うってことなんだろう。

著名人や大企業の作品の方が有利っぽい

「パクった、パクられた」みたいな話だとオリジナル作品の知名度なんかも考慮されるらしいので、基本、著名人や大企業の側に有利に働く傾向があるみたい。

トレスについて

ネットではよくあがる話題ではあるんだけれど、いくつか面白い判例があったのでメモ

平成 17年 (ワ) 26020号 損害賠償請求事件
「豆腐のパッケージに勝手に絵を使われた」と原告が訴えたのだけれど、その絵は江戸時代の浮世絵を模写したものだったというケース。結論から言うと敗訴。
模写作品の創作性に関する裁判所の見解が興味深い

『模写作品と原画との間に差異が認められたとしても、その差異が模写制作者による新たな創作的表現とは認められず、なお原画と模写作品との間に表現上の実質的同一性が存在し、原画から感得される創作的表現のみが模写作品から覚知されるにすぎない場合には、模写作品は、原画の複製物にすぎず、著作物性を有しないというべきである。
(中略)
著作権法は、著作者による思想又は感情の創作的表現を保護することを目的としているのであるから、模写作品において、なお原画における創作的表現のみが再現されているにすぎない場合には、当該模写作品については、原画とは別個の著作物としてこれを著作権法上保護すべき理由はない。』

こっちは模写作品の創作性が認められたケース。
平成 21年 (ワ) 31755号 損害賠償請求事件

被告の主張
『本件入れ墨は、本件仏像写真の単なる機械的な模写又は単なる模倣にすぎず、著作物性を認めることはできない。本件下絵は 、写真の上にトレーシングペーパーを重ね、上から鉛筆又はシャープペンシルで描線をトレースして作成したものにすぎない。写真が存在するのにわざわざ手書きで描写する彫物師はいない。 必要な不手間をかけ、依頼者に負担をかけることになるからである。このようなトレースは極めて機械的なものであり、こには下絵作成者の創作性は存在しない。』

原告の主張
『原告は、本件仏像写真を参考にしたものの、仏像の向きを変え、かつ、表情を被告Yの希望に沿って優しいものとした点において、下絵における創作性がある。』

裁判所の判断
『原告は、本件入れ墨の制作に当たり、①下絵の作成に際して構図の取り方や仏像の表情等に創意工夫を凝らしたこと、②入れ墨を施すに際しては、輪郭線の筋彫りや描線の墨入れ、ぼかしの墨入れ等に際しても様々の道具を使用し、技法を凝らしたこと、これにより本件入れ墨と本件仏像写真との間には表現上の相違があり、そこには原告の思想、感情が創作的に表現されていると評価することができることは上記説示のとおりであり、本件入れ墨が本件仏像写真の単なる機械的な模写又は単なる模倣にすぎないということはできず、被告らの上記主張は採用することができない。』

ちなみにこの後、被告側が判決を不服として控訴している。
内容的には同じ。

平成 23年 (ネ) 10052号 損害賠償請求控訴事件

被告の主張
『十一面観音立像の写真の上にトレーシングペーパーを重ねて、上から鉛筆で描線をトレースして、下絵を作成した。このような製作過程を考慮すると、本件入れ墨は、創作的な表現とはいえず、著作物性はない。』

裁判所の判断
被告らは、製作過程等を指摘し、本件仏像写真の仏像と本件入れ墨の間には、図柄全体の輪郭が共通することから、本件入れ墨は著作物性がない旨を主張する。しかし、前記のとおり、本件入れ墨は、墨の濃淡等によって、表情の特徴や立体感を表すための工夫がされている点等を総合すると、思想、感情の創作的な表現がされていると評価することができる。したがって、この点の被告らの主張は採用できない。』

トレス絡みで有名な「八坂神社祇園祭ポスター事件」でも争点は、模写作品の創作性だった。
平成 19年 (ワ) 1126号 損害賠償請求事件

『著作権法は、同法2条1項1号の規定するとおり、思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから、既存の著作物に依拠して創作された著作物が、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、翻案には当たらないと解するのが相当である
(中略)
本件水彩画に接する者は、その創作的表現から本件写真の表現上の本質的な特徴を直接感得することができると認められるから、本件水彩画は、本件写真を翻案したものというべきである。』

この事件については下記のブログで詳しく解説されている。
参考)料理マンガにおける写真トレースと著作権法

ネットでよくある「トレス疑惑検証」や「トレパク検証」は、”トレスという行為を行ったかどうか”という製作方法の検証でしかないので、実際の裁判ではあまり意味がない。むしろ検証すべきは、模写作品に創作性が有るか無いかという点。(あるいは、元の作品の創作的表現をどれだけ模倣しているか)

あとよく「トレスと模写を一緒にすんな」という話があるけれど描き手の心情としてはそうなんだろうけど、著作権侵害の裁判ではその二つにあまり違いは無い。重要なのはやっぱり作品の創作性。

総括

とりあえず……読みづらい。ものによっては、どっからが被告の主張で、どこまでが原告の主張で、どこからが裁判所の判断なのかがすご~くわかり辛かったりするので、もうちょっと分かりやすく書いてほしい。読点多すぎなきもするし、あと変な空白が文章にまじっているのはなんなんだろう?

著作権法については過渡期なんだろうなって感じ。「違法ダウンロードの刑事罰化」がすんなり通ったことを考えると、「著作権法の非親告罪化」とかもあり得るのかも。アメリカでもSOPA(オンライン海賊行為防止法案)を通そうとがんばっている人たちもいるみたいだし。

全体的には厳罰化に向かっているようなので、過去の判例はあてにならなくなってくるかも。

あと、ネット絡みの著作権侵害については判例が少なすぎるので、みんなもっとちゃんと訴えた方がいいと思った。