「塀の中のジュリアス・シーザー」
イタリア、ローマ郊外にあるレビッビア刑務所。ここでは囚人たちによる演劇実習が定期的に行われている。
今年の演目として選ばれたのはシェークスピア作「ジュリアス・シーザー」。出演を希望する囚人たちの中からオーディションによって役者が選ばれ稽古が始まる。各々の監房で、廊下で、遊戯場で、一所懸命に台詞を繰り返す囚人たち。 それぞれの過去や性格などが次第にオーバーラップして演じる役柄と同化していく。そのとき、刑務所自体がローマ帝国へと変貌し、現実と虚構の境を越えていく。
とまぁ、あらすじを読んだり予告編を見た限りだと一見「ドキュメンタリー」と勘違いしそうではありますが、あくまでフィクションです。
映画の中で演技を行っているのは現実の囚人たちなのですが、映画の中で起きている出来事は脚本がありそれに沿って演じられています。
つまり役者(囚人)たちは、映画の中で「刑務所のなかで、演劇に囚われ現実と虚構の境が融解していく自分たち」を演じているわけです。
実際の”現実”の上に”演劇”と”映画”という2枚の虚構が重なっている「メタ・ドキュメンター」といった感じ。
ここがこの映画の面白いところでもあり、評価の分かれるところでもあるかもしれません。
そういった背景を知り、メタな視点で眺めるといろいろと考えさせられる作品なのですが、逆に映画の背景を一切忘れて、あくまで「映画」としてみると割と微妙なできの作品だったりします。
何しろ、映画の中ではキャラクター(囚人)たちの関係性や過去といったものが殆ど描かれずキャラクターの口からわずかに語られるだけなので、「現実と虚構(劇)が融解していく」感じがあまりせず、全体として「囚人たちが演劇をしました。以上」という作品に見えてしまうんですね。
もうすこし、個々のキャラクターを掘り下げて欲しかった。
そんなわけで背景含みでメタな視点から眺めると興味深い作品ではありますが、率直に「この刑務所を撮った、ドキュメンタリーが見てみたいな」とも感じる評価の難しい作品でした。