自立のその先、ヒーロー化するヒロインを描いた「アナと雪の女王」

何週遅れかで「アナと雪の女王」を見たので感想を。

あらすじとかいろんな考察とかについてはググれば沢山出てきますのでそちらを。

ちなみに以降の記事には結構なネタバレがあるのでご注意ください。

*以下、ネタバレあり。

前評判で「近代的な自立するプリンセス像を描いた」みたいな事が盛んに言われていて、「でも、自立したプリンセスなんてディズニーはずいぶん前からその路線だったしなー。むしろ、いまさなら典型的なDIDを描いたら、そっちの方がびっくりだろうに」なんて思って居たのでさほど期待していなかったのですが、エルサが思っていた以上に興味深いキャラクターだったので結構楽しめました。

とりあえず観終わった後の感想は「流れがアメコミっぽい」でした。

一部では「アメコミ=勧善懲悪」みたいな印象を持たれているらしいですが、ベトナム戦争以降の物語ではむしろ「正義とは何ぞや」などに思い悩むヒーロー像が描かれました。その中の一つ「スパイダーマン」では、「大いなる力には大いなる責任が伴う」というテーマが主軸となっているのですが、これがエルサの物語にまんま適用されるなと。

エルサは一部で「マイノリティを象徴するキャラクター」として語られていたりもしますが、特殊な能力を持った物として少数派ではあっても決して弱者ではありません。国一つを凍り付かせるだけの魔力を持ち、なおかつ権力者でもあるわけですから。しかし、この2つの力はエルサが望んで得たものではなく押し付けられたもので、ある意味「呪い」です。

本人は望んでいないにも関わらず両親は海難事故でなくなり、否応もなく女王の座につかねばならなくなります。なんとか自分を抑えて戴冠式臨むわけですが、妹は何かよくわからん男を連れてきていきなり「結婚する」とか言い出すし、プチ切れて魔法を使ってしまい結果守るべき者たち「モンスター」と恐れられてしまう。

この辺の流れがまさにアメコミのヒーローっぽい。

もっとも有名な「ありのままの〜♪」シーンも、「もう、あいつらの事なんか知るかボケ」というある種やけっぱちに開き直った姿なわけです。
デスマの現場をバックれて辞める決意をしたエンジニアがよくあんな顔をしてます。しかし、結局ありのままに生きることはかなわず、エルサはアナに呪いをかけてしまいます。

エルサとアナ、ダブルヒロインにそれぞれ呪いがかけられているわけです。

ディズニーにおけるお約束は「王子様のキス」ではなく、実のところ「呪いからの解放」にあります。
「呪いが解けてハッピーエンド」が定例のパターンであるのですがアナと雪の女王において、アナに掛けられた呪いは解かれますがエルサを苦しめている呪い(女王になるという重圧と魔力)は物語の中で解かれることがありません。

むしろこの物語は全体通してエルサが重荷を受け止める覚悟する姿を描いているようにも見えます。

単純に物語として考えるならアナの呪いがとけると同時にエルサの呪い(魔力)も消えてしまっても構わないはずなんですよね。
その場合オラフが消えてしまうことになりますが、中盤に張った「大切な人のためなら溶けてもいい」という複線の回収という意味では、そちらの方が感動的な演出になったはずです。

しかし結局のところエルサの魔力は消えることなく女王という立場も変わらず。
なので、エルサ視点で感情移入してしまうと「なんかエルサだけ割りに合わない」と感じてしまうのもある意味当然かもしれません。

【ネタバレ注意】「アナと雪の女王」を見た長女が感じた長子の悲哀

この物語が「ヒーローが自らの力と立場を受け入れ、その責務を負う覚悟を決めるまでの物語」であるならば、この割に合ってない感も当然のモノなのかもしれません。「巨大な力を持つのだから、その社会的責任を果たしなさい」というわけです。

ラストでは、民のためにスケートリンクとか作ってるわけですしねエルサは。
まさにノブレス・オブリージュ

「ただ守られるだけのヒロインからの自立」のみならず「守る者としての責任を負うヒロイン」という自立の一歩先を行くヒロイン像を描いた面白い作品だなと思いました。